転勤を繰り返し、得たものと失ったもの

2018年2月5日月曜日

年齢

全国転勤型の会社に入社したため、サラリーマンになってから子供の頃に育った町で仕事をしたことがありません。一度は地元で働きたいと思っていましたが、夢かなわず、サラリーマン生活が終了しようとしています。アーリーリタイア予定者の視線で転勤について考えてみます。

今まで住んだ場所について

社会人になって、5都県・6都市で生活をしたことがあります。大きい町もあれば小さな町もありましたが、それぞれで良かった思い出があります。

もともと、出身は地方都市であったため、社会人になってからは大都市や地元とは違った地域で生活をしてみたいと思っていました。地元で就職する場合は地銀ぐらいの就職先しかなく、しかも転勤はほぼ県内に限られます。学生時代の就職活動では、その地銀にも面接に行きましたが、ずっと地元で働き続けるイメージは持てませんでした。

結局、全国転勤型の会社で働くこととなり、いろいろな町で仕事をしてきました。学生時代に感じていた、日本経済の中心地で働く経験をしてみたいという願望は概ね満たされました。今は金融機関の本社勤務で、45歳になって思うことは、「大体分かったよ。」というものです。

転勤を経験して良かったこと

地元から遠い地域や大都市での生活をして、地元とは違った文化に触れることや、大都市といっても地元と変わらない生活となることを知りました。これらは経験してみないと分からない貴重なものと思います。

いろいろな地域で生活したことにより、幅広い知識を持てるようになりました。最近投資しているリートの投資にも役立つことがあります。また、大都市の良いところ、悪いところや、地方都市の良いところ、悪いところも分かるようになりました。

ただし、どの場所も「市」以上の規模でしたので、町や村レベルはまだ経験したことはありません。


転勤を経験して良くなかったこと

良くなかったことは、殆どありません。しかし、全国転勤型の会社で働きたかった願望は満たされ、既にマンネリ感はあります。

年齢も45歳が近づき、そろそろ地元に戻って生活をしてみたいという気持ちにもなってきました。この年になってくると、親のことも心配になってきます。これから15年も会社に命じられた場所で仕事をすることは、そろそろ無意味に感じるようになってきました。

転勤の繰り返しは良かったことと捉えていますが、そろそろ地元に近い場所で生活したい。アーリーリタイアする理由のひとつには、そのような気持ちが含まれます。

もし地元の地銀で働いていたら

若い頃は、全国転勤型での仕事を望んでいましたが、今になってみれば地元の地銀で働いていたらどうなっていただろう・・・と思うことがあります。地域に密着して、それはそれで幸せな生活ができていたような気がします。しかし、一方で国内企業の本社が集まる中心地で、いろいろな会社の人達と仕事をするような経験は想像しかすることが出来なかっただろうとも思います。

全国転勤型の会社で働き、45歳でアーリーリタイアして地元に戻ること、それはそれで1つの解決策なんだろうと思っています。

自己紹介

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金融系に勤めるサラリーマンでしたが、早期割増退職金の制度を使って、45歳になった2018年10月末に会社を退職しました。 このブログは退職の1年前から記載を始め、アーリーリタイアを目指すサラリーマンの心境と、アーリーリタイア生活開始後の心境を記載するものです。 家族構成は子供なし、嫁と2人の生活です。
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