会社に行けばそれなりに充実した時間を過ごせるのですが、働くことは趣味でもなく、お金を稼ぐためのもので、お金が貯まるまでの我慢として頑張ったまでです。
今はそれが実現し、会社に行かない日々を過ごせていますが、案外、それは当り前の生活のように感じてきます。
まだ会社に行かなくなって1ヶ月と少しですが、そのような会社に行かない日々を過ごす感想を記載します。
慣れの速さ
長年、サラリーマン生活をしていると、急に仕事に行かなくなる生活には適応しにくいと聞いたことがあります。
時間を持て余したり、無駄に早起きをしてしまうようですが、そんなことは全く無いようです。
今のところ、時間を持て余す感覚は無いですが、睡眠時間については以前よりも十分に取ることができるようになりました。
サラリーマン時代の生活サイクルを引きずるようなことはなく、会社に行かなくてもよい生活に慣れ、その速さには驚きます。
あたりまえの生活
長年アーリーリタイアを目指して頑張ってきたことから、会社に行かずに自由な時間を過ごすことは、もっと特別なことのように思ってきました。
しかし、実際には普通に、あたりまえのように自由な生活を過ごすことになります。
本来は特別な生活なのかもしれませんが、実際に経験していると、それはそれであたりまえの生活として感じてきます。
電気が無かった時代の生活に比べれば、今は素晴らしく特別な生活になっているのですが、現代を生きる人は電気があるだけでは満足しない・・・そのような感じ方に近いものがあるのだろうと思います。
美化される記憶
しかし、アーリーリタイアをしてみて大したことはなかったか・・・というと、そうでもないとは思います。
仕事はそれなりに楽しみながらしていましたが、お金をもらうためには我慢をすることは多々ありました。
しかしアーリーリタイアするとサラリーマン時代の記憶は美化され、良い記憶は多く思い出されます。
では、今からサラリーマン生活をもう一度しても良いか・・?と聞かれたら、答えはNOです。
電気が無かった生活も、それはそれで良かった時代と思えるのかもしれませんが、実際に戻ってみるか・・?と聞かれたらNOになるのと同じようなものでしょうか。
会社に行かない日々を過ごす感想
人は常に今よりも良いものを目指してしまうため、アーリーリタイア生活が出来ても、さらにそれ以上の満足を目指したくなってきます。
流行が一定の周期で繰り返されることと同じように、現状に満足できない向上心があるのだろうと思いますが、そんな時は、サラリーマン時代に苦労したことや、嫌な思いをしたことを思い出してみます。
そうすれば、自由を手にした生活が特別であると再確認することになります。
毎日が休日となると、休日を待つ楽しみは無くなり、休日が貴重なもので無くなるのかもしれません。
しかし、それは相対的なものであって、絶対的なものとして再認識すれば、改めて休日が貴重であると気付くことになります。
しかし、それは相対的なものであって、絶対的なものとして再認識すれば、改めて休日が貴重であると気付くことになります。