生きていくためには仕事をしなくてはなりませんが、趣味=仕事であれば良いのですが、そのような人は僅かでしょう。
多くの人は、自由に使える時間を犠牲にして、収入を得ているのだと思います。
あと2ヶ月半でアーリーリタイアとなりますが、そもそも自由に使える時間はどれだけあるのか考えてみます。
健康寿命から考える
厚生労働省が、介護を受けたり寝たきりにならず自立して生活できる期間となる、健康寿命というものを集計しています。
男性72歳・女性75歳というのが、最新の健康寿命のようです。
「ファイナンシャル・ジェロントロジー(金融老年学)について」にも記載しましたが、人生100年時代となり、健康寿命も少しづつ延びているようです。
ただ、男性の場合、65歳定年と考えれば、平均すると健康で自立できるリタイア後の期間は、たったの7年間しかないということになります。
定年以外で自由に過ごせる時間
サラリーマンの場合、勤務している会社の仕事にもよりますが、帰社時刻が遅く、自宅から会社まで遠ければ、平日の自由時間はほぼゼロではないでしょうか。
自宅は寝るために帰るようなサラリーマンの方も多いと思います。
5時ピタで帰社できて、毎日プロ野球のナイターを見ることができる方であれば、1日2時間ぐらいの自由時間はできるのではないでしょうか。
平日は無理でも、週末などの休日は自由時間となります。週休2日であれば、概ね1/3ぐらいは自由な時間ではないでしょうか。
自由時間は意外と多くないか
もし、5時ピタで帰社できて週休2日であれば、意外と自由時間は多くないでしょうか。平日の自由時間がなくとも、休日だけで、1年のうち1/3も自由時間があり、それでも多いように感じます。
「お金の稼ぎ方は2パターンあって、アーリーリタイアは1つになること」にも記載しましたが、サラリーマンは自由に出来る時間を提供して、対価を得ることをしていますが、提供したとしても自由時間の2/3までということになります。
定年退職後の7年は短く感じますが、在職中の1/3は多く感じますね。
自由は時間だけで評価できないかもしれない
時間だけで考えると、意外に自由時間が多いことに気付かされますが、多くのサラリーマンは自由時間が多いとは感じていないと思います。
恐らくその理由は、時間だけでは評価できない負担感なのではないかと考えます。
「サラリーマンが感じる日曜夜の憂鬱」にも記載しましたが、休日であっても仕事のことを考えてしまいます。
そもそも「自由」を調べてみると、外的に拘束や支配を受けず、自身の本性に従うことをいうようです。
考え方によって、休日は、外的に拘束や支配を受けないとも言えますが、それは一時的なもので、休日が終われば外的に拘束や支配に戻ることになり、自由ではないともいえます。
恐らく感じ方としては、時間的な量ではなく、そもそもの外的な拘束や支配に対する負担が大きいように思えます。
アーリーリタイア後の時間を考える
アーリーリタイアをすれば、会社に行かなくても良くなり、時間的な自由が得られるイメージは強いですが、実際には会社による拘束や支配から解放される自由の方が大きなものではないでしょうか。
時間だけであれば、サラリーマンをしながらでも、それなりの自由時間があると考えることもできます。
サラリーマンには時間がない・・・という誤解をして、リタイア後に時間だけが増えたとしても、決して期待していた自由を得られるものではないかもしれません。
以前、「幸福論から仕事を辞めることで幸せになるのか考えてみた」で記載のように、何の目的もなくリタイア生活を過ごすと、時間的な自由を得たからといって、幸せを感じることはできず、目的を持って生きることが必要ということでしょう。
時間だけで自由を評価するなら、多くのサラリーマンはそれなりに時間があって、今の生活に満足できているはずでしょうから。