毎日会社に行かなくても良くなるので、ただ漠然とそんな生活をしてみたいという以外に、失ってしまうものはどんなことだろうかと。
毎日多くの人とコミュニケーションをしてきたが、それが無くなるとどのような生活になるのか・・・など。
実際にリタイア生活を開始してみて、失ったと感じるものを記載します。
会社という社会を失う
アーリーリタイアをしてすぐの段階では、同じ会社で接点を持っていた多くのの同僚達との社会から抜け出したのだということを感じました。それぞれの部門でそれぞれの知識をもっていた同僚達という資産を失うことになったからです。
会社での仕事は多くの人と協力し、会社という社会の一員として過ごしますが、そこから抜け出すと協力して何かをするということは無くなってしまいます。
参考ブログ:アーリーリタイアして失うもの①
会社は可能性が降ってくる場所
会社での仕事は、やりたく無いことも多いのですが、その1つ1つには目標があります。営業数値だけではなく、いつまでに完了させなくてはならない、上手く見せなければならないなど、様々な目標に向かって仕事をしていたと思います。
確かに、それは負担でもありますが、適度に目標を達成していくことで満足感が得られたとも言えます。
リタイアしても目標は無くなるものではありませんが、サラリーマン時代のように適度な目標が自然と生まれてくる生活ではなくなります。
目標を立てても必ずしなくてはならないものではなく、会社の同僚達という資産を失っては実行できそうな目標も限られます。
リタイアするとサラリーマン時代のような、適度に目標を達成していく満足感は得にくくなるように感じます。
参考ブログ:幸福論から仕事を辞めることで幸せになるのか考えてみた
自由が無いことにより感じる幸せ
サラリーマン時代は週末に24時間自由に過ごせることが、とても貴重に感じていたものです。
アーリーリタイアすれば、それが毎日になるものだと・・・。
しかし毎日が休日となれば、確かに楽チンで良いのですが、自由の無いサラリーマンとは相対的に感じ方が違ってきます。
サラリーマン時代は自由が少なかったので、週末や、年末年始、ゴールデンウイークなどの休日は貴重な位置づけで特別なものでした。
しかし、リタイア生活では特別な日では無くなります。
リタイア生活になると、24時間自由に過ごせる特別で貴重な日の価値は、相対的に低くなってしまうものだろうと思います。
長年の最大の目標が無くなる
目標を持ち、それに近づいていけば満足感が得られます。サラリーマン時代の長年の最大の目標は、アーリーリタイアをすることであったと思います。
リタイアを実現するためには・・・、リタイアするまでの辛抱だ・・・、リタイアすれば○○ができる・・・など、アーリーリタイアのために考えてきました。
しかし、その長年の最大の目標が実現した後は、やりつくした感があるのも事実です。
45歳でアーリーリタイアをするというモチベーションは、その実現により無くなってしまうことになります。
失うことによる後悔
リタイア生活をして失ったことを記載しましたが、後悔しているものではありません。
全体としてはAよりBの方が良くても、AにはAの良さがあり、BにはBの良さがあって、サラリーマン生活とリタイア生活も同じものだろうと思います。
当然、サラリーマン生活よりリタイア生活の方が良いと感じています。
高級な料理を毎日食べているとジャンクフードも食べたくなるが、毎日ジャンクフードを食べる生活をしたい訳ではないようなものです。
実際にリタイア生活をしてみると、サラリーマン時代に想像していなかった感じ方もしますので、今後リタイア生活を計画される方の参考として記載をしてみました。