人生の短さについて

2020年6月7日日曜日

残りの会社生活

これからの生き方を考える際に哲学を参考にすることがあります。

もともと学生の時に昔の思想家に関する授業を受けたことがあるのですが、今でも幾つか記憶に残っています。

その1つに『人生の短さについて』という、ルキウス・アンナエウス・セネカの考え方があります。

これはRanapがアーリーリタイアを目指した考え方の基本でもあり、多くの人は薄々、このようなことを感じているのだろうと思っています。

参考までに少し紹介します。

人生は使い方によって短くなり長くなる

人が生きる時間を短いと考える人は多いと思うのですが、本来、人の寿命は相当に長く、その時間を使えば多くのことが出来るはずです。

短いと感じるのは多くの時間を浪費しているためであって、使い方によっては十分に長くなると考えます。

生きていれば色々なことをしなくてはならないのですが、実はその殆どはどうでもよいことで、時間が無限にあると感じるためにどうでもよいことを忙しく処理してしまいます。

もし、余命〇日と宣告されたなら、そのような生き方はしないのですが・・・。

余命宣告されてから始める行動を、もっと前からしていれば人生は長いものとなるはずでしょう。


浪費しないようにするには

サラリーマンとして働いていた頃は常に忖度することを考えてしまいました。

上司が〇〇を考えているであろうから事前に〇〇をしておく・・・や、部下は〇〇をするであろうから〇〇しておく・・・などです。

ビジネスの上では未来を想像して準備することは重要なのですが、多くの準備をしてもその殆どは徒労に終わったものであったと思います。

未来のために今の時間を犠牲に出来るのは、時間が無限にあると感じるからです。

今は我慢して定年になったら〇〇する・・というのも、それまでの時間を無駄に使うことになります。

未来のことを考え、他人のために時間を浪費するのではなく、今の時間を自分のために使えば人生は長くなるということです。

やりたいことを今からやらなければ、生きていたのではなく、時間が過ぎただけになってしまいます。

サラリーマン時代に考えたこと

昔から、一度限りの人生なのに定年までサラリーマンを続けて勿体なくないのだろうかと考えていました。

この根底にあるのはセネカの『人生の短さについて』の考え方です。

しかし、サラリーマンとして多忙に忖度をしながら働くことは浪費であると理解しつつも、実際には働かなくては生きていくことも出来ません。

現代社会において『人生の短さについて』の考え方を100%そのままに生きることは非現実的なので、人生のある程度はセネカの考える浪費に費やす必要があるはずです。

ただし、浪費は必要悪として最小限に止めることは可能でしょう。

浪費していることに気付いて、少しでも浪費する時間を少なくすることです。

サラリーマンとして不必要に働き続けることを無駄と考えれば、自然とアーリーリタイアすることになったのであろうと思います。

気付かずに浪費した時間を戻すことは出来ないのですが、浪費していることに気付くことは今からでも出来ることですね。

 

興味がある方はこちらもどうぞ。。関連ブログ。
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自己紹介

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金融系に勤めるサラリーマンでしたが、早期割増退職金の制度を使って、45歳になった2018年10月末に会社を退職しました。 このブログは退職の1年前から記載を始め、アーリーリタイアを目指すサラリーマンの心境と、アーリーリタイア生活開始後の心境を記載するものです。 家族構成は子供なし、嫁と2人の生活です。
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