しかし、実際にはサラリーマンとして働くことを浪費とは捉えにくく、むしろ美徳と考えてしまう方が普通であろうと思います。
ではなぜサラリーマンとして働くことが美徳となるのか、昨日に引き続き過去の思想家、マックス・ウェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』をもとに考えてみます。
『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』、属に言う「プロ倫」は大学生の時に教科書として買わされた記憶があります。
参考までに少し紹介します。
禁欲によって資本主義が発展したという考え方
資本主義が発展する背景には欲望や旺盛な消費があると思えるのですが、実はそれは全く逆で、禁欲によって発展したと考えます。地味に働くことは神の教えに従うことになるというのが、キリスト教のプロテスタント的な考え方で、禁欲的に生活し勤勉に励むことを良しとします。
禁欲的な生活をして勤勉に励めばおのずと財産が増え、さらにその財産を増やすべく投資をしていきます。
贅沢や豊かさを求めて働くのではなく、プロテスタント的な規範・倫理感によって働いた結果、資本主義の発展に繋がったと整理しています。
働いて給料をもらう目的はより良い生活をするためではなく、働くことや財産を増やすこと自体が目的になっていたということです。
日本のサラリーマンが働く目的も近いと思える
NHKや内閣府の調査では、高齢になっても働きたいと考える人が多かったという結果が出ています。普通に考えれば、働く目的は生活のためや欲しいものを購入するためとなるのですが、その根底には規範や倫理感のような雰囲気的なものがあるように感じます。
他国と比べ日本人は禁欲の精神や集団主義的な考え方が比較的強く、さらに会社の中ではそれが規範となってより強化されます。
会社の中で生活していると、冷静に考えれば本来の目的ではないことのために頑張って働いてしまいます。
それが働く必要が無いのに働いてしまう原因になっていると思えます。
人生の短さを考え、もっと欲を出して自分に損か得かを計算すれば、サラリーマンとして働くことの多くが浪費であると感じるのではないでしょうか。
働く目的は二階層になっている
サラリーマンをしていれば、誰でも昇格や昇進を目指し、認められたいと考えるはずです。その一方で、具体的な計算をすることなく禁欲的に労働を続ける側面もあります。
恐らく、働く目的は二階層になっていて、表面的には昇格や昇進を目指す強欲的な側面があり、その根底には計算なく働くことを美徳とする禁欲的な側面があるのではないでしょうか。
強欲的な側面は顕在化され自身でも理解しているのですが、禁欲的な側面は潜在的なものであり自分では理解しにくいものであろうと思えます。
時間の浪費に気付くには、顕在化していない禁欲的な側面と向き合い、もっと欲を出して自分に損か得かを計算すべきでしょう。
油断していると、本来の目的ではないどうでもよいことのために頑張って働き続け、気付いた時には手遅れになっています。
多くのサラリーマンがアーリーリタイアしないのは、経済的かつ合理的ではない禁欲的な側面が大きいと思えます。
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