Ranpaのリタイア資産の一部は星野リートに投資をしています。
その関係もあり、スポンサーである星野リゾートの代表者、星野佳路氏が、自分の人生の残り時間はどれくらいあるのかということを常に意識している・・・と説明している記事が目に入りました。
自分は80歳で死ぬと仮定して、その間の時間の使い方を割り振っているそうです。
永遠に続きそうな日常を、終わりのあるものとして認識し、すべきことを考えるということですが、アーリーリタイアに通じる考え方のように感じました。
終わりを認識することで、生き方は大きく変わるのだろうと思います。
学生の時から考えていたような気がする
終わりがあることの認識については、程度の差はあれ、誰もがしていることと思います。
Ranpaは比較的、強くその認識を持っていたような気がします。
学生の時、自分の死についてまで認識することはなかったと思うのですが、周囲の人達との関係として認識していたように思えます。
〇〇さんが元気なうちに〇〇しておきたい・・・という感じですね。
若い時はこれから上っていく時期ですので、流石に、自分に終わりがあることを認識するのは難しいでしょう。
自分の事として感じ始めたのは・・・
30歳を過ぎた頃、自分にも終わりがあることを認識するようになり始めたような気がします。
それまで上を目指して頑張ってきたのですが、35歳を過ぎれば下り坂となり、その先のことを想像しやすくなりました。
将来のために頑張るのは良いとして、いつまで頑張ることが出来るのだろう。
せっかく育てた果実を味わう時間はどれぐらいあるのだろうか・・・。
そのように思い始めたことが、アーリーリタイアの計画へとなりました。
貴重な時間を使っているという感覚
イソップ寓話のアリとキリギリスの話では、アリは冬を越すために頑張って働くのですが、実は働きアリの寿命は1~2年程度のようです。
春先に生まれたアリであれば、そもそも年を越すことが出来ないかもしれませんし、既に1度冬を越したアリであれば、2回目の春を迎えることはかなり難しいのでしょう。
冬を越すために食べ物を備蓄しても、食べきれない可能性が高いことになりますね。
アリは、「死」から逆算して時間を割り振ることをしなかったために、必要のない労働をした上、せっかく働いて得た果実を味わうことなく死んでしまったのかもしれません。
ゲームであれば、それを学習して、もう一度やり直せば良いのですが、人生においてはやり直しが出来ません。
それを回避するには、終わりを認識することが必要となるのでしょう。
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