アーリーリタイアの経済合理性について

2018年7月14日土曜日

アーリーリタイアの心境

アーリーリタイアをすることは、サラリーマンとして働くことを卒業することであり、自由な時間を獲得することと考えています。

サラリーマンをしなくて良くなることは、自由な時間を得ることの引き換えに、給料が貰えなくなるということです。

アーリーリタイアを選択した場合に、具体的に得るものと、失うものを考えてみます。

アーリーリタイアで得るもの

サラリーマン社会で働くには、色々な気苦労が多く、それが理由で病んでしまうこともあります。

以前、「人生のどん底は50代前半にあるのか」に記載しましたように、管理職になると気苦労は大きくなってきますよね。

確かに、サラリーマンとして会社で嫌なことを我慢しなくてもよい・・・という感覚的なことも実際には大きい部分ですが、今回は経済合理性として考えます。

普通のサラリーマンとして考えれば、「お金の稼ぎ方は2パターンあって、アーリーリタイアは1つになること」に記載したように、労働力を提供して対価を得ることについてとなります。

それは、自分の自由時間を犠牲にして、労働力を提供することにより対価を得ることでしょう。

ただし、評価される労働1時間あたりの対価が、人により多少異なります。


自分の自由な時間の価値

時間の価値については、人それぞれで評価しにくいものです。

1日に1万円稼ぐことができる人と、1日に数十万、数百万円稼ぐことができる人では、時間の価値は異なります。

ここでは、一般的なサラリーマンとしてまとめて考えてみます。

サラリーマンが自宅を購入するとき、会社から通勤に2時間を要する郊外にするのか、1時間で通勤できる都心に近い場所にするか考えることがあります。
  • 郊外は住宅費は安くなるが、毎日、往復4時間の通勤時間が犠牲になる
  • 近い場所は、住宅費は高くなるが、毎日の通勤時間は2時間短縮できる
どちらを選択するかは、人それぞれですが、このケースも自由時間を犠牲にして住宅費を抑えるか、お金を払って自由時間を確保するかという選択です。

同じ時間の価値感の人が集まれば・・

都心の高層マンションなどでは、お金を払って自由時間を確保する人が住むことになり、そのような人達の文化が形成されます。

逆に、郊外の住宅街では、自由な時間を犠牲にして住宅費を抑える人達の文化が形成されます。

周辺に出店されるスーパーや飲食店は、そのような文化を吸収したものとなり、高級エリアではブランド商品などが販売され、郊外エリアでは価格重視の商品が販売され、エリア全体の雰囲気として醸成されていきます。


提供する時間の量

平均的なサラリーマンとしては、1日の労働時間は朝9時~夜8時の10時間ぐらいでしょうか、Ranpaはもう少し長いですが・・・。

1年間に240日出勤するとした場合、2,400時間を労働として提供することになります。

240日分の自由時間を犠牲にして年収分の対価を得ることになります。

サラリーマンを継続するということは、そこ価値があると判断して会社と契約していることになります。

人間が一生のうちに自由に過ごせる時間は限られますが、その時間を切り売りして生きていることになります。

逆に資産を持つ人は、時間短縮のための費用を支払うことができます。

以前、通貨の代りに時間を売買する未来を物語にした、『TIME/タイム』という映画がありましたが、経済合理性として考えれば同じ考え方であろうと思います。

日々の習慣として通勤していると、サラリーマン生活は、当たり前のことであったり、あるべき姿として考えてします。

しかし、人間が一生のうちに自由に過ごせる時間を切り売りするという経済合理性を考えれば、アーリーリタイアは違った考え方になるでしょう。

人間として生まれて保有する限りある資源、つまり「時間」をしっかり考えた結果、アーリーリタイアという結論に至りました。

自己紹介

自分の写真
金融系に勤めるサラリーマンでしたが、早期割増退職金の制度を使って、45歳になった2018年10月末に会社を退職しました。 このブログは退職の1年前から記載を始め、アーリーリタイアを目指すサラリーマンの心境と、アーリーリタイア生活開始後の心境を記載するものです。 家族構成は子供なし、嫁と2人の生活です。
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