アーリーリタイアを表現すれば「嬉しい」と「幸せ」の違い

2019年3月11日月曜日

アーリーリタイアの心境

サラリーマン時代にリタイア生活とはどんなものか色々と想像してきました。

会社を辞めて収入が無くなっても生活できるのか・・・という事は当然として、毎日家に居る時間が増えたり、色々な人とのコミュニケーションが少なくなったりすれば、どのような感覚になるのだろうか・・・。

経済的なことであれば、計算すればある度の見込みは立つのですが、メンタル面については、実際にその環境にならないと分からないものです。

Ranpaの場合は既にリタイアされた方のブログを参考にしたものです。

そのため、アーリーリタイアを目指す方にリタイア生活をして分かってきたメンタル面について記載をしてみます。

アーリーリタイアは「嬉しい」ではなく「幸せ」

まだ4ヶ月と少しのリタイア生活ですが、「嬉しい」と「幸せ」の違いで表すことが出来るように思えてきました。

「嬉しい」や「幸せ」は人間の感情なので人それぞれ感じ方は違うものですが、一般的には以下の違いがあるようです。

嬉しい・・・その瞬間に感じる喜び

幸せ・・・永続的に感じる満足

アーリーリタイアをして感じることは、リタイア生活は「嬉しい」ではなく「幸せ」であろうことです。

働いている方が「嬉しい」は多かった

サラリーマン時代、アーリーリタイアは長く目指してきた目標のゴールなのだと思っていました。

それは漠然とゴールに到達すれば、色々なものが解決するものだと・・・。

しかし、実際にリタイア生活をすると失うものがあることに気付きます。

仕事をしていると、面倒なことでも目標に向かって頑張ってしまい、それを達成すれば「嬉しい」と感じたように思います。

仕事にはトラブルや難題もありますが、それらを解決すれば「嬉しい」と感じることが出来ました。

また、努力が評価されて昇給や昇格したときにも「嬉しい」と感じました。

「嬉しい」と感じることは、サラリーマン時代の方が多かったように思えます。

「嬉しい」を感じることが出来る日々浮き沈みのある生活は、リタイアすれば失ってしまうということです。

「嬉しい」はサラリーマン時代のように常にアクセルを踏み続けることで感じるものかもしれません。

<参考ブログ>


リタイア生活は「幸せ」を感じる

一方、リタイア生活で感じることは「幸せ」です。

サラリーマン時代は「幸せ」では無かったのか・・・と言えば、「幸せ」でもあったのだとは思いますが、その当時の自分が今のように「幸せ」を感じてはいなかったように思います。

日々浮き沈みのある生活で、常にアクセルを踏み続けなければならなかったため、「幸せ」を感じるような落ち着いた状況ではありませんでした。

しかし、リタイア後はアクセルを踏むことを止めても、日々安定した生活をすることが出来るようになりました。

頑張らなくても安定した日々が過ごせることに「幸せ」を感じるようになります。

サラリーマン時代に感じることの多い「嬉しい」は少なくなりますが、「幸せ」がそれに置き換わるように思えます。

どちらが良いかは・・・

「嬉しい」はその瞬間の短い時間に感じる強い感覚であるが、逆に「幸せ」とは長い時間に渡って感じるじんわりとした感覚であろうと思います。

リタイアすると、サラリーマン生活のように色々な人に会って、議論をしたり、作戦を考えるようなことは無くなります。

そこで得られる「嬉しい」は「幸せ」よりも強い感覚で、今となっては懐かしい感覚のように思えます。

人によっては「幸せ」よりも「嬉しい」を求めたいことがあるのかもしれません。

しかし、Ranpaとしてはアーリーリタイアをして「嬉しい」が少なくなっても、「幸せ」を感じることが出来て良かったと考えています。

サラリーマン時代にアクセルを踏み続けた代償として「嬉しい」を多く感じることが出来たので、これからは「幸せ」を感じ続けたいと思っています。

確かに、「嬉しい」を懐かしく感じてしまいますが、それはそれということで。

自己紹介

自分の写真
金融系に勤めるサラリーマンでしたが、早期割増退職金の制度を使って、45歳になった2018年10月末に会社を退職しました。 このブログは退職の1年前から記載を始め、アーリーリタイアを目指すサラリーマンの心境と、アーリーリタイア生活開始後の心境を記載するものです。 家族構成は子供なし、嫁と2人の生活です。
PVアクセスランキング にほんブログ村

このブログを検索

ブログ村ランキング

QooQ