アーリーリタイアが失敗して再び働かなくてはならなくなっても、恐らく元の会社に戻ることは出来ず、別の会社に再就職しても条件は悪くなるはずです。
それが理由でアーリーリタイアに踏み切ることが出来ない人は多いのだろうと思います。
しかし、アーリーリタイアはリスクの高い片道切符であるものの、アーリーリタイアしないことによって失うものもあるでしょう。
アーリーリタイアしないことによって得るものと失うものについて考えてみます。
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アーリーリタイアして失うもの①
アーリーリタイアして失うもの②
アーリーリタイアして失うもの③
得られるものは安定
会社で普通に働き続けてさえいれば、多くの場合は安定した生活が約束されます。
評価や業績によって給料は増減するとは思いますが、生活が出来ないぐらいに減ることは少ないと思います。
そのような安定のために、多くのサラリーマンは我慢して仕事をしているのでしょう。
仮に、アーリーリタイアが出来るある程度の資産が出来ても、働いていればリスクは少なく、安定を得るための費用として自由時間を提供する人は多いはずです。
給料を貰うこと(安定を得ること)と、自由時間を犠牲にすることがトレードオフの関係になっています。
確かに、無意味な自由時間が増えるよりも、給料を多くもらった方が良いと考える人は多いでしょう。
自由時間の犠牲の先にあるもの
サラリーマンは働き続けることが普通になりすぎて、提供し続けている自由時間は我慢さえすれば無限に使えるように感じてきませんか。自由時間の犠牲は嫌であっても少し我慢すれば問題ない・・・というような感覚です。
多くのサラリーマンは会社に行くのが嫌でも、そのような感覚で働き続けているのだろうと思います。
しかし、無意味に思える自由時間であっても、考えてみれば限りのあるもので、無意味なもののために犠牲となるものではないはずです。
人それぞれ寿命があり、与えられた自由時間があるのだと思います。
自由時間は無限に使えるものではなく、有限であって実は残り少ないかもしれないのです。
何となく、自由時間を提供するコストは我慢や頑張りのように感じますが、実は与えられた生命そのものをコストとしているようにも思えるのです。
本当のトレードオフの関係とは
本当は働かなくても良いのに、限りのある自由時間を犠牲にし続けた後に残ったものは、「老い」では無いでしょうか。もっと若かったら〇〇も出来たのに・・・と、年を取ってから自由を得た時に思わないのか心配です。
それは時すでに遅しですから。
自由時間を犠牲にすることは、若さを犠牲にしていることで、生命を犠牲にしているようにも感じます。
給料を貰うこと(安定を得ること)と若さや生命までがトレードオフになっているように思えてきます。
収入や安定も大事なことですが、それを得るためには多大な犠牲を払っていることも忘れてはならないのでしょう。
アーリーリタイアが失敗しても再就職が難しいことと同様に、無駄に働き続けることによって失う時間は取り戻すことが出来ないので、実は、どちらを選んでも片道切符なのだと思います。
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