Ranpaの元同僚でアーリーリタイアをした人を知っていますが、あまり親しい人では無かったこともあり、当時、あまり羨ましいと感じていませんでした。
もし親しければ、羨ましいと感じたのだろうか・・・。
自分が働いている時に、その元同僚は家でゆっくりしているのか・・・と考えれば空しくなりそうです。
アーリーリタイアには、みんなが働いているのに自分は働かなくても良い・・・という特別感というか、希少価値があるのだろうと思います。
アーリーリタイアの希少価値
サラリーマンがアーリーリタイアを目指す場合、働かなくても良い自由な生活をしたい・・・という理由がいちばん大きいのだろうと思います。
理由には大小色々あると思いますが、みんなが働いている時に働かなくても良い・・・という希少価値に惹かれる部分もあるのではないでしょうか。
もし定年を迎え、みんなが普通にリタイア生活をする頃であれば、アーリーリタイアとしての希少価値は無くなりますよね。
多くの人が忙しく働く中、と言うか、本来は働くべきであろう時に働かなくても良い生活をすることに魅力を感じるのでしょう。
アーリーリタイアを目指す・・・ということは、手に入りにくいものを手に入れるためのプロセスでもあろうとも思います。
手に入れた後はどうなるか
希少価値があるものは、手に入りにくいからこそ価値があるのですが、一方で、手に入れてしまうと、あまり価値を感じなくなってしまった経験はありませんか。
話題の新商品が出て、どこのお店にいっても売り切れとなっていた時などは、何故かどうしても手に入れたくなります。
しかし、苦労して手に入れた後には興味が無くなってしまった・・・ということがよくありますよね。
アーリーリタイアも同じで、実際にリタイア生活をする側になると、希少性による価値感は感じにくくなってしまいます。
他人から見れば価値のあることかもしれませんが、やっている本人としては普通のこととなるのですから。
アーリーリタイアの実態
かと言って、アーリーリタイアは価値の無いものではなく、サラリーマンの時に感じていた価値観とは違ってくるというのが正解であろうと思います。
サラリーマンの時は期待が膨らみすぎ、+10ぐらいの価値を感じていたとします。
しかし、リタイア生活をしていくうちに、+5ぐらいに減ってしまいます。
恐らく、本当は価値があると思うのですが、手に入れたことで希少価値を感じなくなってしまうのだろうと思います。
ただ、感覚的な価値は下がったとしても、サラリーマン時代の生活よりも十分にプラスとなっていることを感じることは出来ます。
本来は働くべきであろう時に働かなくても良い生活をする嬉しさは薄れていくのですが、忙しく働く生活に戻りたいと思うことはありませんね。