アーリーリタイアを目指しているとアーリーリタイア信仰のようなものが出来ますね。
良いと思うものに拘りを持てば、何でも似たようなことが起こります。
ただ行き過ぎると、変な方向に行ってしまいますね。
アーリーリタイアが正しくて、社畜は間違っている・・・という具合でしょうか。
なぜか、勝ち負けの世界になっていきます。
日頃のうっぷんが信仰化させる
サラリーマンは、日ごろ我慢して働いていますので、うっぷんがたまり、アーリーリタイアの信仰化をさせやすいのかもしれません。
現実を否定し、リタイア後の生活に過度な期待を抱く・・・という感じでしょうか。
サラリーマン時代のRanpaも含め、誰でもある程度はその手の感情を持つとは思うのですが、恐らく、その程度は人それぞれなのでしょう。
信仰化してしまうと、正しい判断が出来なくなり、アーリーリタイアに関することは何でも良いこととして見えてしまいます。
経済合理性を見失う時
過度にリタイア生活に期待しすぎるのは危険なことですから、信仰化していないか注意しなくてはなりませんね。
そんな時、立ち戻るのは、やはり経済合理性であろうと思います。
経済合理性が通用しなくなっていれば、それは危険な領域にあるのだと思います。
信仰化は経済合理性を見失わせてしまいますので。
イデオロギー
毎日情報発信されているウクライナの件も、イデオロギーが関係するのでしょう。
経済合理性が通用しなくなり、感覚的な動機によって動いているのかもしれません。
そのような世界では損か得かよりも、勝ち負けに拘るようになってきます。
ただ後になって、もっと他に良い方法があったのではないか・・・と、考えるのではないのだろうか。
アーリーリタイアが信仰化して、リタイア後の生活に過度な期待を抱いてはいないか注意しなくてはなりませんね。
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