時間が出来て人付き合いが減れば、おのずとネット社会と接点が増えていくと思います。そのような変化で気になっていることを記載します。
リアル社会とネット社会の違い
サラリーマンであれば同僚や取引先との接点を持ちますが、リタイアすればネット上でどこかの誰かと接点と持つことになります。
その大きな違いは匿名性の有無ではないかと思います。
リタイアされた人は「アーリーリタイアしてブログを書いている人」にも記載しましたが、多くの参考になるブログを書かれています。
それらのブログも参考になりますが、どこの誰かは想像することになります。
恥の文化と罪の文化
恥の文化とは日本人の思考の特徴として、アメリカの文化人類学者 ルース・ベネディクトが『菊と刀』で説明されたものだったと思います。
人付き合いをする行動基準は、恥をかかないようにすることで、会社で寄付を募ったときに周りよりも少なければ恥ずかしいので、相応の寄付をするようなものです。
失態によって周囲の人に迷惑をかけたり、恥ずかしい思いを避けることが、行為の善悪よりも重要になるという思考です。
日本人の特徴となる恥の文化の対極となるのが、罪の文化だったと思います。
海外の人は日本人よりも宗教による影響を強く受けており、行為の善悪は宗教の教えによるところが大きいようです。
キリスト教は自殺を認めないことや、勤勉を良しとすることなど、宗教によって行動規範が定められています。
それらの教えに反することは罪となり、罪を犯さないように行動するというのが罪の文化の特徴です。
恥の文化の良さとは
恥の文化と罪の文化はどちらが良いというものではありませんが、人に迷惑をかけないことや、周りのことを考えて行動することは、日本人の美徳として評価できると思います。
このことは、電車やお店が混んでいれば一列に並んで待つこととし、割り込みや早い者勝ちとしないことも同じ考え方でしょう。
しかし、最近ニュースで煽り運転の話題を聞きますが、車に乗ると顔が見えなくなって匿名性が高くなり、割り込みや煽りとなってしまいます。
恥の文化の根底には、周りの人と調和して、自分だけがおかしなことをして浮いた状態になりたくないという考え方だと思います。
匿名性の高いネット社会では
どこの誰か分からなければ、恥をかくことはなくなります。正確には、恥ずかしいことをしても誰かわからないので、本人の恥にならないということでしょう。
ネット社会では恥の文化による制御がないので、日本では無法化しやすいように思います。
リアル社会では良識のある行動をしていても、ネット社会では全く異なる言動をする人が多くなってしまいます。
そのような人達が集まったところが、日本のネット社会ではないかと思います。
40年以上も日本で生きていると、従来の日本の文化や美徳が失われていくことは、とても悲しく感じてしまいます。
匿名であることにより、リアル社会では考えられない、人の不幸を喜ぶような記述や、差別を助長するような記述が多くなってしまいます。
リタイア後の生活
リタイアすると、そのようなネット社会からの情報を多く吸収する生活が始まります。
気付かないうちに、そのような記述が当たり前と感じてしまうこととなり、一方でリアル社会との接点が薄くなっていきます。
日本だけのことではなく、リタイア後だけのことでもありませんが、従来の日本の文化や美徳が失われることは悲しく思います。
ネット社会に洗脳される自分や今後の日本人のことが気になっています。