しかし、時間がありすぎて暇になるということは無く、あっという間に1日が過ぎてしまいます。
これまで限られた時間を過ごすことに慣れてきましたが、締め切りの無い時間の過ごし方に慣れ始めたところです。
定型的にしていたこと
サラリーマン時代は、毎日同じことを繰り返し定型的にしていたことが多くあります。
それはルーチンワークとして個人的にしていたことだけではなく、会社に着けば最初にPCを立ち上げて・・・というような些細な繰り返しの作業が数多くありました。
それがアーリーリタイア生活になるとやること自体が少なくなるので、繰り返し定型的な作業の数も少なくなります。
少なくなれば、その1つ1つの記憶が鮮明になります。
例えば、昨日の朝、歯を磨いた時の状況や、その時考えたことまで思い出すことが出来るようになりました。
1つ1つの出来事の重要度
仕事では日々、様々な対応をすることになり、限られた時間で多くのことをしていたように思います。
1日に何度もミーティングを繰り返せば、最初のミーティング内容は遠い昔に感じてしまいました。
多くのことに対応するため、脳を可能な限り細分化させて、それぞれの仕事をしていたのだろうと思います。
時間の使い方や優先順位を考えながら仕事をしていたので、1つのことに時間制限なく集中するようなことは無かったように思えます。
それは、休日でも同じで、限られた時間の中で出来ることには限界があり、出来る範囲のことで切り上げていたのだと感じます。
やることが少なくなったことによる変化
アーリーリタイア生活をしながら気付くことは、1日がとても短く感じることです。
やることが少なくなれば、逆に1日は長く感じるように思っていましたが、実際にはその反対でした。
今までは何をするにしても時間の制限があるので、長くても2時間程度で切り上げて、次のことをするようなスケジュールであったように思います。
しかし今は時間の制限がないので、1つのことに気が済むまでし時間は使えます。
しなくてはならない定型的な作業が減り、1つのことに気が済むまで時間を使っていると時間の経つことを忘れます。
その結果、1日がとても短く感じるようになりました。
会社に行かない生活とは
まだ手探り状態ですが、サラリーマン生活とアーリーリタイア生活の大きな違いは、時間に対する感じ方ではないかと思えてきました。
サラリーマン時代は色々とやることがあり、時間の無駄遣いを意識して、時間の経過を楽しむ感覚は想像できませんでした。
しかし、今は自由に時間が使えるので、今していることは明日しても良く、明後日でもよく、今日という時間の経過を楽しむ感覚が分かるようになってきました。
時間の無駄遣いとは、それよりも優先してやるべきことがあるから無駄遣いとなるのであって、優先するものが無ければ、その時間も無駄ではなくなります。
そのため、時間があって暇になるという感覚は今のところ感じることはなく、些細なことに集中していると、あっという間に1日が過ぎてしまいます。
小学生の頃はサラリーマンのようなスケジュール感覚を持っていなかったと思いますが、その頃の感覚に近いものがあるようにも思えます。
上手く言い表せませんが、どうやら、居心地の良い時間の経過というものがあるようです。
上手く言い表せませんが、どうやら、居心地の良い時間の経過というものがあるようです。