マインドコントロールから抜け出すとき

2019年6月14日金曜日

残りの会社生活

サラリーマンを辞めて7ヶ月半、今から思えば会社では小さいことまで責任を持って拘っていたものだと感じます。

誰でも悪いことをすればその報いを受けて責任を取ることになるのですが、出社して会社に入ればその責任によるコントロールはより大きなものになると思います。

会社には職務規定などの規則によって制限され、サラリーマンでいる限りはそれに従わなければ何らかの罰を受けることになります。

しかし会社には規定外のものまで責任を持つことが多くないでしょうか。

評価制度によるコントロール

他人に何かをしてもらう時は対価が必要となり、サラリーマンは会社から対価をもらって働くことになります。

会社では職務規定などの規則によってコントロールされますが、評価制度によって上司にもコントロールされます。

雇用契約は会社と直接しているのですが、評価制度によって間接的に評価者となる上司から評価という対価を得る仕組みが出来ています。

評価制度は大きな組織でも全員のコントロールを可能にします。

しかし評価者が多くなるので、正しい評価がされない可能性も出てきます。

そのため、サラリーマンはどう評価されるか分からない中で、少しでも評価を高めるために対価以上に働いてしまうものだと思います。


倫理感からくる責任

サラリーマン社会では、あるべき新入社員、あるべき部下、あるべき上司・・といったステレオタイプ的なあるべき姿が出来上がっています。

それが本来の姿ではなかったとしても、大多数がそう考えているのであれば、なるべくその姿に近づくように努力してしまいます。

逆にその努力を怠れば、良くない新入社員、良くない部下、良くない上司と思われて行くのだと思います。

サラリーマン社会ではパーソナルスペースが小さく、他人である他の社員との接点が多くなるため、他人に害を及ぼさず良いことだけを与えてくれるような、所謂、あるべき新入社員、あるべき部下、あるべき上司が求めらるのでしょう。

集団として働けば、対価とは関係のない倫理感によってもコントロールされてしまいます。

必要以上に働いてしまうこと

評価制度や倫理感によって必要以上に働いてしまうことは、サラリーマン社会のマインドコントロールだと思っています。

サービス残業をしたりサービス出勤をすることは、このようなマインドコントロールが影響しているのでしょう。

サラリーマンでいる限り、普通はこのような経済合理性に適わない動きもしてしまうものです。

改めて考えてみると、20年以上サラリーマンをしたなかで実際に評価されていない頑張りは結構多かったのではないかと思います。

一般的に使われるマインドコントロールの定義とは少し異なりますが、サラリーマンが働く環境では本来の価値観とは異なる基準で働かせてしまう、マインドコントロールのようなものを感じます。

マインドコントロールから抜け出すとき

働いている間は仕事に集中してしまい、家に帰りたいと感じることは少ないのですが、日曜の夕方には会社に行きたくないと感じていました。

恐らくサラリーマンとして働いている間はマインドコントロール下にあるが、帰宅して時間が経てはそれが薄れていくのだろうと思います。

会社を辞めて半年以上も経てば、より一層、サラリーマン時代は何故あんなことに頑張っていたんだろう、あんなことに拘っていたのだろうか・・と思うようになります。

働いて収入を得ることは重要ですが、不必要に頑張ることは避けたいものです。

そのためには定期的に纏まった休みを取って、本来の自分を取り戻せば良いのだと思います。

マインドコントロールが薄れる前に会社に行ってしまえば、自分を失ったままの状態が続いてしまいます。

収入や地位を得ることが出来ても、それ以上に貴重なものを失うことになってしまいます。

自己紹介

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金融系に勤めるサラリーマンでしたが、早期割増退職金の制度を使って、45歳になった2018年10月末に会社を退職しました。 このブログは退職の1年前から記載を始め、アーリーリタイアを目指すサラリーマンの心境と、アーリーリタイア生活開始後の心境を記載するものです。 家族構成は子供なし、嫁と2人の生活です。
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