先日、過労死に関するニュースを見ました。
過労死ラインを超える、月に〇〇時間の残業をされていたそうです。
恐らく、ニュースになるのは氷山の一角で、実は、見えない過労死やそれに近いものはもっと多いのだろうと想像します。
サラリーマン社会では働かなくてはならない不思議な雰囲気が醸成されてしまいますので、ある意味で危険な社会なのかもしれません。
過労死にまでは行かないまでも、高評価を得るために、かなりの無理をしている人が多いのではないかと思えます。
働かざる者に高評価はない
サラリーマンの場合、基本的に頑張らなくては高評価は得られないのだろうと思います。
ただし、働いたからといって働いた分だけの評価が手に入らないのが厄介なところですね。
きっちりと高評価を受ける時もあれば、全く評価されない時もあります。
頑張らなくては高評価は得られないのに、頑張ったからといって必ず高評価は得られない・・・、考えてみると、サラリーマンは理不尽なものです。
目指している先は曖昧なもの
人それぞれ感じ方が大きく違うから、評価には運不運が出てきます。
評価者が、真面目に頑張ることを重んじるのか、実績を重視するのか、革新さを重視するのか・・・などによって、評価は異なるのでしょう。
そのため、評価者の考え方を理解し、忖度することとなるのですが・・・。
Ranpaの場合、昇格時期が近い人の評価はなるべく高くするようにしていました。
部下に良い評価を与えて昇格させれば、言うことを聞いてくれるようになりますので・・・。
他人に評価される不確実性
サラリーマンが経済合理性を無視して働いてしまう理由としては、この曖昧な評価制度が大きいと考えます。
曖昧だからこそ、必要以上に頑張ってしまいます。
高評価を得られるかどうかは不確実なのですが・・・。
リタイア生活が3年となり、改めてサラリーマン時代のことを考えると、不確実なもののために頑張っていたのだな・・・と思うことがあります。
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