米も水も必需品ですから、無いと困りますね。
先日、とあるドラッグストアで米5kgが2袋だけ売っているのを見つけました。
値段は3,300円と高かったのですが、無いと困るので1袋だけ購入しました。
麻痺する感覚
その後、別の店舗で2,800円ぐらいで売っている米も発見しました。
2,800円は随分安いな・・・、もう1袋購入しようかな・・・とまで考えましたが、合計で10kgは多いので見合わせました。
とは言え、2,800円でも数カ月前であれば十分高かったと思うのですが。
コロナの時のマスクもそうでしたが、手に入るものがそれだけとなれば、高額なものでも安く感じてしまいますね。
値段の感覚は相対的
改めて、値段の感覚は絶対的なものではなく相対的だなぁ・・・と感じました。
全体的に高くなれば、値段の感覚は引き上がり、それが普通になってしまう。
以前にもっと安かったことは忘れてしまい、判断の基準から外れてしまう。
今後、米の値段が5kgで5,000円となっても、それが普通となれば、4,000円で売っているのを見つけると安く感じてしまうのでしょうね。
10年後のリタイア生活が心配になる
物価上昇が続く中、10年後のリタイア生活が心配になってきます。
物価上昇が10年続いたとしたら、今よりも随分高くなっていると思うのですが、高くてもそれが普通になっているのでしょうね。
リタイア生活者は賃上げの恩恵を受けませんので、今ある資産で何とかしなくてはなりません。
米の価格の高騰は特殊なケースであろうと思うのですが、2,800円を安いと感じてしまう経験をして、そんなことを考えてしまいました。
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