一昨年の10月7日に「はじめまして、Ranpaです。」を記載したのが最初で、今日で567回目の公開となります。
アーリーリタイア生活に入り、今はリタイア後の生活に関することを記載していますが、退職した10月末まではサラリーマン時代の生活を記載しています。
最近になってこのブログを読み始められた方は、その全貌が把握しにくいと思いましたので、アーリーリタイア計画から今日までのまとめをつくることにしました。
大まかな時系列
2008年ごろ(35歳のころ)
勤めていた会社の就業規則に、45歳以上の社員を対象に早期退職優遇制度として退職金を上乗せすることが定められていたので、45歳で退職することを考え始めます。
もともと定年退職まで働くつもりはなく、自営業でもして自由な生活をしたかったのですが、35歳になっても実現出来ずにいたところ、この規定を知ってあと10年働けばリスクの高くてしんどい自営業をしなくても自由になることが出来ると思ったものです。
参考ブログ:アーリーリタイアしようと思い始めた時期と経緯
2017年8月(退職後に住む家を購入)
退職予定日まで2年ぐらいとなった頃から、退職後の住まいを探し始めました。
賃貸にするのか、持ち家にするのか、新築にするのか中古にするのか・・・などのシュミレーションをしたり、販売している物件を見に行ったりしたものです。
欲しい物件が買いたい時に出るとは限らないので事前にチェックすることと、季節による相場変動があるので、可能であれば長期に渡ってチェックすることが良いと思います。
2017年8月、退職の1年数ヶ月も前でしたが良い物件が出てきたので、住んでいる場所から約400kmも離れた場所で購入することにしました。
10年前から計画してきたとは言え、長年働いてきた会社を辞めることは勇気の要ることで、退職しなければ住むことが出来ない場所の家を購入したことで退路を絶ってアーリーリタイアに進むこととなりました。
参考ブログ:1年先のアーリーリタイア後に住む家を発表します
2017年10月(退職の1年前)
サラリーマンとして働き続ける必要性を感じてはいませんでしたが、会社のことは嫌いではなく、本当に良い会社に勤めていると感じていました。
そのため退職する旨を伝える時期については、退職の1年前にすることとし、定年退職のようにお互いに準備が出来る円満退職を目指すこととしました。
また、春の人事異動に退職予定者として考慮してもらうことも、この時期を選んだ理由でした。
第一線から退く立場となれば、円滑に引き継ぎすることが出来て、最後はゆっくりとしたサラリーマン生活を過ごせると思ったためです。
参考ブログ:ジワジワと退職のカミングアウトを進めています
2017年12月(最後の納会)
既に上司には退職することを伝えていましたので、数ヶ月後には退職することがほぼ決まっています。
これまで毎年経験してきた会社の行事も、今回が最後になると思えば今までとは違った気持ちで参加することになりました。
年末の最終出社日の業務終了後には納会をするのですが、来年にはもうこの場にいないのだなぁ・・・と思いつつ参加したものです。
参考ブログ:いつも通り、最後となる会社の納会に参加した心境
2018年1月(辞令が出るまで)
既に会社や上司には退職することを伝えていましたが、それまでと何ら変わることのない仕事を続けていました。
退職を予定しているとは言え、出社して仕事を始めれば真面目に頑張って働いていたと思います。
退職が決まっても最後まで全力投球することで円満退職が出来るものと考えていました。立つ鳥跡を濁さずという気持ちで、辞めてからも悪口を言われたくないものです。
この頃は嫌なことがあっても、「あと○○ヶ月我慢すれば良いだけなので・・・」と思い、頑張ったものです。
参考ブログ:退職10ヶ月前の仕事の状況、立ち位置・引継ぎなど
2018年3月(辞令発令)
勤めていた会社はこの時期に定例異動の発表があり、事前に退職を考慮した人事としてもらうことを考えて1年前に退職することを伝えています。
計画通り、部門長としての役職から外れる辞令となりました。
普通に見れば降格人事なのですが、この時は満足する辞令で本当に嬉しかったものです。
1年前に退職することを伝えていたのに会社はそれを考慮せず、最後まで部門長として第一線で働かせるのであれば、計画が狂っただけではなく酷い会社だと思ってしまいます。
この辞令によって退職までの約半年間は、長年の経験の引継ぎとともに少々ゆっくりとしたサラリーマン生活が過ごせることになりました。
ただ、辞めることを知らない社員からは、何か失敗したのかと思われたものです。
参考ブログ:人事異動が発令されました
前半のまとめ
10年前から計画してきたアーリーリタイアについて、会社に伝えて公式に降格人事が発表されるまでを簡単にまとめてみました。
1年も前に退職することを会社に伝えても、まだ1年間は働くことになります。
周囲にも退職することを伝えて良いのか悪いのか、若しくは既に知っているのか知らないのか、微妙な環境で働くことになりましたが、降格人事の発表によって間接的に会社は退職を了承し公式化されたこととなりました。
降格人事が発表されてからは、周囲も退職を予定している社員として扱ってくれるようになり、その後は今までの重圧から解放された気楽なサラリーマンとして過ごせたと思います。
降格辞令ですが、給料などの待遇面が悪くなることはなく、会社としてはこちらの意に答えてくれたものと捉えています。
前半として2018年3月までをまとめましたが、辞令発令は大きな分水嶺であったように思います。
続きは次回「アーリーリタイア計画から今日までのまとめ(中頃)」で記載するようにします。