サラリーマン時代にも感じることはあったのですが、リタイアすると違った感じ方をするものです。
どんなときに感じるのか、なぜ違ってきたのか考えてみました。
45歳の位置づけ
もしアーリーリタイアを意識せず普通にサラリーマンをしていたなら、45歳は会社では中間的な位置づけで、定年退職までやっと半分ぐらい来たかな・・・というところです。
当然、新入社員と比べれば年を取っていますが、自分が新入社員であった時がそれほど昔のことであるとは感じませんでした。
新入社員側から見れば、かなり年配の社員と感じられているとは思いますが・・・。
会社では年長者がもっと上位のポジションで働いており、自分はまだまだ若造の半人前と感じたものです。
若者から年長者までいるので
恐らく会社では若者から年長者まで幅広い社員が働いているので、中間的なポジションに位置する45歳ぐらいでは、それほど年を取ったと感じにくいのだろうと思います。
若い人と接すると年の差を感じますが、会社では年長者と接することも多く、何より同世代の同僚達とは同じように年を取っているので、時間が停止しているような感覚になるものです。
そのような環境から抜け出しアーリーリタイア生活になったので、年を取ったと感じる瞬間が多くなったのだと感じます。
会社は繰り返しが続く
会社は決算を迎えて年度が変わり、また次の決算を迎えます。
中身は少しずつ変わりますが、同じことが繰り返されるので時間がループしているように感じます。
人事異動で新人が来ることもありますが、何度も経験してきたことで、改めて時間の経過を感じることもありません。
繰り返しの環境が大きな変化を感じにくくさせています。
アーリーリタイアして感じること
「1年先のアーリーリタイア後に住む家を発表します」に記載したように、会社を辞めて引越しをして、今は戸建ての住宅に住んでいます。
ご近所さんの殆どは小さい子供がいる世帯で、恐らくRanpaよりも年齢は若いように思えます。
45歳でも年長者の部類に入ってしまうようです。
また、「アーリーリタイアして2ヶ月経過した心境」にも記載しましたが、アーリーリタイアすると将来のことを考える時間が増えます。
サラリーマン時代のように毎日忙しく仕事をしていれば、エスカレーターに乗っているように変化無く時間が過ぎて、将来のことを真剣に考えにくくなります。
繰り返される忙しい時間においては、将来のことではなく今日明日の事を考えてしまうものでした。
アーリーリタイアして考える時間が増え、年を取ったと感じる瞬間が多くなっているでしょう。
ただし、これは正しい認識で、サラリーマン時代が錯覚していたのだと思います。
時間の経過は正しく認識すべき
先日、通っていた大学の新校舎を地図で探していたとき、ふと、今でも新校舎と言われているのだろうか・・・と考えたことがありました。
通学していた当時に新設された校舎があって、当時は皆が「新校舎」と言って公式な用語になっていたと記憶しています。
卒業してから殆ど大学に行ったことは無いのですが、20年以上も経過した今では「新」ではなく、「新校舎」というネーミングがおかしいことに気付いたのです。
今通っている学生にとっては20年以上も前に新設されたもので、古いと感じる校舎なのかもしれません。
気付かない間に時間が経過して浦島太郎にならないように、時間の経過は正しく認識すべきだと思います。
将来のことを考えて、いつまでに何をしておくべきか、今、何をしておかなくてはならないか・・・、時間の経過を感じることによって、すべきことが明確になると考えます。
浦島太郎ではありませんが、アーリーリタイアするとサラリーマン時代は時間の経過を感じにくい環境にいたものだと気付くことになりました。