その後、各方面からの非難により撤回しましたが・・・。
もし実行されたなら、部下の県職員は我慢して寄付しながら、同僚や家族に文句タラタラだったのでしょう。
納得が出来ないことも我慢しつつ実行し、同僚や家族に文句を言う他にないサラリーマン時代を思い出しました。
選挙で選ばれる知事は県民から好感度アップを狙ったのかもしれませんが、サラリーマンの部下達には恩恵がないですからね。
しかしサラリーマンは、悲しいことに上司のポイント稼ぎと分かっていてもやらなければならない時がありますので。
サラリーマン時代の寄付
サラリーマン時代、たまに会社で寄付金を募ることがありました。
部門内で封筒が回覧され、封筒にお金を入れますが、流石に部門長であれば少し多めの寄付をしなければならない感じになります。
誰がいくら寄付しているか分からないのですが、部下よりも少ないのは申し訳ないもので、ある程度の金額を寄付することになります。
部下の結婚式なども同じで、上司であれば祝儀もそれなりの額が必要だろうと、サラリーマン時代はそのような交際費が時々発生した記憶があります。
アーリーリタイアしてからは、そのような交際費は殆ど無くなりました。
会社のような組織から外れると、人間関係によって生じる出費を懐かしいようにも感じてきます。
寄付の要請はパワハラか
パワハラかどうかの判定は微妙なものですが、今回の広島県知事の寄付要請も、恐らく任意であれば問題なく、それを評価に使うとパワハラであろうと思います。
ただし、評価とは白黒はっきりしないところがあるので、やはり微妙です。
パワハラと言えば、最近よく聞く安倍首相の「開始する考え・・・」や「していく・・・」などを聞いて、サラリーマン時代の進捗報告会を思い出します。
進捗がイマイチな部下からは実績ではなく、希望的観測と言うか、抽象的な未来形の報告をよく聞きました。
そんな時は、なぜ・・?、では何時までに・・?、数値で表すと・・?、クリティカルパスは・・・?などと、次々と詰めたくなるのですが、あまり詰めるとパワハラになるので気を付けます。
安倍首相や知事の方々は忙しく大変かもしれませんが、手腕が問われる時であり、やりたくてやっている仕事ですから、役職と給料以上の責務を果たしてもらわなくてはなりません。
忙しいの嫌であれば、リタイア生活をすれば良いのでしょう。
とにかく新型コロナが収束しないと
休業要請にに応じない業者を公開する動きがあるようですが、これも本来の姿では無いように思います。
要請は強制ではなく、自主的な協力が前提になると思うのですが・・・。
新型コロナの混乱により、多少の無理がまかり通ってしまうのかもしれません。
状況が状況になれば、価値判断は変わってくるもので、戦時中に国家総動員法が発令された時も、当時としてはそのような状況であったのでしょうか。
とにかく新型コロナが収束しないと、よく分からない発言や、よく分からない集団心理が増えそうで気になります。
アーリーリタイアして集団から離れると、そんな風に感じやすくなるのでしょうか。