先日、「【とうとう1000日!!】働かない日々に思う事」を記載したのですが、1000日ともなれば、リタイア生活は既に安定期に入ったと言えるのでしょう。
最初の頃の試行錯誤していた段階が過ぎ、なんとなくこんな感じで続くのかな・・・と思うようになって行きます。
ただ、サラリーマンの頃、今のような、毎日が日曜日となる生活のイメージをすることは難しかったと思います。
既にリタイアされた方のブログなどを見ながら、間接的に想像していたのですが・・・。
働かなくても良いことが普通になる
毎日が日曜日になるといっても、実際には、サラリーマンの時の日曜日とは大きく違ってきます。
働かなくても良いことが普通になるため、サラリーマンの時の日曜日のような貴重で特別には感じにくくなってしまいます。
貴重で特別に感じるのは、与えられた自由が短く、終わりが決まっているからそのように感じていたのだろうと思います。
自由に終わりが無くなることで、貴重とも特別とも感じにくくなってしまうのでしょう。
働いていた時の記憶が残っている
ただ、全くその貴重さも特別さも無くなってしまうのかと言えば、そうでもありません。
自由が貴重であることを、過去の経験を通して記憶に残っているからでしょう。
平和な時代に生まれれば、平和であることを貴重とも特別とも感じないのかもしれませんが、戦争や混乱の時代を経験した後であれば感じ方が違うようなイメージです。
リタイア生活をしていても、サラリーマン時代の記憶が残っているため、自由であることの価値を忘れてしまうことは無いのだろうと思います。
同じ自由でも違った自由
サラリーマンに与えられる自由は、短く、終わりが決まっているものだけでした。
子供の時も同様に、夏休みは長いのですが、必ず、学校は始まります。
それらは自由であっても、その自由な時間を使えば使うほど、自由の終わりが近づいてくることを感じ、そのことに目を背けて短い自由時間を楽しみます。
それは本当の自由であったのだろうかと思うことがあります。
毎日が日曜日になるのは間違いでは無いとは思いますが、サラリーマン時代の日曜日とは全く別のものではないかとも感じます。
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