日本人は資産に占める貯金の割合が高く、投資を避ける傾向にある・・・と聞きますね。
また、世界最高水準とまで言われる公的医療制度があるのに、民間医療保険の契約数は世界でもトップクラスとのこと。
コロナ対策においても、罰則が無いのに必ずマスクをつけています。
ただ、先日のブログで安心と欲望は表裏一体ではないかと記載しましたとおり、安心や満足には上限が無いため、どこかで割り切りが必要になるのだろうと思います。
安心とコストの関係
安心を求めたい気持ちはよく理解出来るのですが、手に入れるにはコストがかかってしまいますね。
例えば、安心を得るために保険契約をするのですが、契約するほど保険料の支払いも多くなってしまいます。
貯金も同じで、元本保証で安全ではあるのですが、金融機関は預かったお金で投資をして利益を出している訳で、本来であれば得られるはずの利益を失っているとも言えますね。
安心を求めれば求めるほど、実は不安定になってしまうというパラドックスが生じるのではないかと考えます。
安心とは
囚人のジレンマが示すとおり、先が見通せない状況にあれば、人間は利益を得るより損失を回避することに力を入れてしまうからであろうと思います。
先々のことは分からないので、安心を得るためには少し多めのコストを支払っても無駄にはならないと考えてしまいます。
実は、安心とは経済合理性を無視させてしまう厄介な感覚ではないのだろうか。
架空の敵と戦うために準備するという、極論すれば妄想のようなものかもしれません。
アーリーリタイアにあてはめると
アーリーリタイアを考えた時、〇〇が心配、△△も心配・・・と色々な不安が出てきます。
これらの不安を払拭して安心を得るには、もう少し働いておいたほうが良い・・・と考えてしまいますよね。
もちろん、無計画にアーリーリタイアするのは論外ですが、安心を求めていると、相応の自由時間を犠牲にすることにもなってしまいます。
安心に惑わされ、経済合理性を無視したことで、後から損したことに気付くことだけは避けたいですね。
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