普通に顔を合わせて働いた同僚と会わなくなると考えれば、妙な気持ちになるものです。
アーリーリタイアする時は、このような気持ちになるようです。
いつかは終わるもの
アーリーリタイアを計画し、カウントダウンをしていたことは「アーリーリタイアしようと思い始めた時期と経緯」にも記載しましたが、サラリーマン最後の日を待ちわびてきました。しかし、カウントダウンをしている一方で、今日も明日も明後日も、会社に行く日は続いており、会社に行くことは当然の生活です。
通勤途中の曲り角では意識しなくても、勝手に足が曲がって行きます。
毎日会社に行くことが当たり前となり、同僚と顔を合わせ、自分のデスクに座りますが、それは終わることなく無限ループとして続いていくように感じてしまいます。
人の命も同じで、いつかは終わると分かっていても、今日、明日のことでなければ、終わることなく無限ループとして続いていくように感じます。
退職を期に気付かされること
日々の仕事をこなしていれば、5年や10年先の生活まで考えることは少なくなります。
日々の仕事のことでも難しいのに、問題が顕在化していない5年や10年先のことは後回しになるでしょう。
しかし、考えてみると日々悩むことの多くは、お金で代わるものや、しばらくすれば忘れるものが殆どではないでしょうか。
サラリーマンを20年以上続けると、サラリーマンとしての生活が当り前となりすぎ、職場に行かない生活、同僚と会わなくなることは、実感として受け入れにくくなっています。
転勤と退職の違い
以前、このような感覚については「アーリーリタイア・退職がもたらす環境変化」にも記載しましたが、さらに具体的なものになりつつあります。
転勤のある会社に勤めているため「転勤を繰り返し、得たものと失ったもの」にも記載しましたように、今まで何度も出勤先が変わり、周りの同僚も変化してきました。
しかし、同じ会社内に勤めていれば、勤務する場所が変わっても、仕事や研修などで関係することは普通です。
そのため、「終わる」という感じ方は、退職するとき独特なものであろうと思います。
かけがえのないもの、いつかは終わるもの
アーリーリタイアは、日々の生活や仕事以外に、5年後10年後にどのような生き方をすべきか考えた結果のものです。
定年まで働くことは立派なことですが、日々の生活や仕事だけに目が行き過ぎると、かけがえのないもの、いつかは終わるものが後回しになります。
退職という節目を向かえ、改めて、いつか終わるものは、やはり確実に終わっていくことを感じました。
アーリーリタイアをしても、かけがえのないものを意識した生活を送りたいと思います。