かけがえのないもの、いつかは終わるもの

2018年10月11日木曜日

年齢

サラリーマン生活最後の時が近づきつつあります。

普通に顔を合わせて働いた同僚と会わなくなると考えれば、妙な気持ちになるものです。

アーリーリタイアする時は、このような気持ちになるようです。

いつかは終わるもの

アーリーリタイアを計画し、カウントダウンをしていたことは「アーリーリタイアしようと思い始めた時期と経緯」にも記載しましたが、サラリーマン最後の日を待ちわびてきました。

しかし、カウントダウンをしている一方で、今日も明日も明後日も、会社に行く日は続いており、会社に行くことは当然の生活です。

通勤途中の曲り角では意識しなくても、勝手に足が曲がって行きます。

毎日会社に行くことが当たり前となり、同僚と顔を合わせ、自分のデスクに座りますが、それは終わることなく無限ループとして続いていくように感じてしまいます。

人の命も同じで、いつかは終わると分かっていても、今日、明日のことでなければ、終わることなく無限ループとして続いていくように感じます。


退職を期に気付かされること

日々の仕事をこなしていれば、5年や10年先の生活まで考えることは少なくなります。

日々の仕事のことでも難しいのに、問題が顕在化していない5年や10年先のことは後回しになるでしょう。

しかし、考えてみると日々悩むことの多くは、お金で代わるものや、しばらくすれば忘れるものが殆どではないでしょうか。

サラリーマンを20年以上続けると、サラリーマンとしての生活が当り前となりすぎ、職場に行かない生活、同僚と会わなくなることは、実感として受け入れにくくなっています。

転勤と退職の違い

以前、このような感覚については「アーリーリタイア・退職がもたらす環境変化」にも記載しましたが、さらに具体的なものになりつつあります。

転勤のある会社に勤めているため「転勤を繰り返し、得たものと失ったもの」にも記載しましたように、今まで何度も出勤先が変わり、周りの同僚も変化してきました。

しかし、同じ会社内に勤めていれば、勤務する場所が変わっても、仕事や研修などで関係することは普通です。

そのため、「終わる」という感じ方は、退職するとき独特なものであろうと思います。


かけがえのないもの、いつかは終わるもの

アーリーリタイアは、日々の生活や仕事以外に、5年後10年後にどのような生き方をすべきか考えた結果のものです。

定年まで働くことは立派なことですが、日々の生活や仕事だけに目が行き過ぎると、かけがえのないもの、いつかは終わるものが後回しになります。

退職という節目を向かえ、改めて、いつか終わるものは、やはり確実に終わっていくことを感じました。

アーリーリタイアをしても、かけがえのないものを意識した生活を送りたいと思います。

自己紹介

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金融系に勤めるサラリーマンでしたが、早期割増退職金の制度を使って、45歳になった2018年10月末に会社を退職しました。 このブログは退職の1年前から記載を始め、アーリーリタイアを目指すサラリーマンの心境と、アーリーリタイア生活開始後の心境を記載するものです。 家族構成は子供なし、嫁と2人の生活です。
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