贅沢なリタイア生活が出来ればそれに越したことは無いのですが、普通の人はどちらかを選ぶことになっていると思います。
程度の差はあれど、これは多くの人に関係することではないでしょうか。
アリとキリギリスではなく
アリとキリギリスの話では、夏に贅沢をしたキリギリスは冬に飢え死にするのですが、実際の生活ではお金が無ければ長く働くことになるものです。
若い時から金遣いが荒くて将来のことを考えずに贅沢に暮らしていた場合、恐らく普通は定年後も生活のために働くことになるでしょう。
しかし、働けば働いた分だけ使う人も、それはそれで生き方の1つだと思います。
逆に、なるべく将来のことを考えてお金を残すようにしておけば、地味ながら老後まで働かなくても良い生活が出来るでしょう。
多くの人は日々の生活のなかで、この2つを選択していると思います。
両方の生き方の違い
アリとキリギリスの話では、冬に飢え死にすることのないようキリギリスになってはいけないと教えられますが、今の時代に飢え死にすることは滅多になく、人より早くリタイア生活が出来るかどうかの違いだけのように思えます。
そのためキリギリスの生き方が全面的に悪いというものではなく、地味に我慢した生活をしていても生きている意味が無いという考え方もあるはずです。
これは考え方の違いで、アリとキリギリスのように良し悪しで整理できない問題です。
隣近所の人と比べると
Ranpaの近所でも、大きく高級な家に住んで車は2台の外車に乗っているような人が普通にいます。
Ranpaも定年まで働くのなら、それなりにもう少し贅沢な生活が出来たかもしれませんが、アーリーリタイアしてみるとそのような人と比較して、どちらが幸せなのかを考えてしまいます。
外から見れば、大きく高級な家に住んで車は2台の外車に乗っているような人は幸せそうに見えてしまうものです。
物欲を満たせば幸せになるのか
一方で、物欲を満たせば本当に幸せになるのかとも考えてしまいます。
大きく高級な家に住んで車は2台の外車に乗っていたとしても、上には上があり、もっと高級な家や車が欲しくなるはずで、物欲を満たしても一時的な満足にしかならない可能性があります。
逆に中古住宅に軽自動車で生活すると割り切った場合と、どれほど満足度に差があるのかよくわかりません。
長年欲しいと思って無理して手に入れたものの、手に入れた後は要らなくなった経験は無いでしょうか。
<参考ブログ>
働かなくても良いのは絶対的なこと
贅沢をして幸せを得るかどうかは難しいところですが、明日も仕事に行かなくてはならないのか、明日も自由に時間が使えるのかについては絶対的な違いがあるはずです。
幸せとか満足というようなものは、絶対的なものではなく相対的で抽象的なものであるのに対し、仕事に行く必要があることは絶対的なものと考えます。
ふと、贅沢に暮らすサラリーマンと地味なリタイア生活とではどちらが良いのだろうと考えた時は、幸せとか満足は気持ちの持ち方で変わるものであって、働く必要があるか無いかとは大きく違う・・・と整理するようにしています。
「高齢でもバリバリ働く人の心境を知るため、資産家や政治家の年齢を調査」にも記載の通り、働かなくても良いのに働く人がいるように、働かないことが誰にも絶対的に求められることではないとは思いますが、働きたくないと感じている人であればこの整理で間違い無いのではないでしょうか。